湘南ベルマーレ 古林将太 裏方として注ぐ新たな情熱
2023シーズンをもって14年間のプロ生活に幕を下ろした。口元のひげをなくし、ジャケットを身にまとったその姿は、新たなステージへの決意を感じさせる。選手として持ち続けた情熱は今、裏方としての新たな役割に注がれている。湘南ベルマーレ運営部の古林将太氏が現在の心境を語った。
古林将太(こばやししょうた)
株式会社湘南ベルマーレ 事業本部 運営部
1991年5月11日生まれ、神奈川県出身
サッカー歴:湘南ベルマーレジュニア→湘南ベルマーレジュニアユース→湘南ベルマーレユース→湘南ベルマーレ→ザスパ草津→湘南ベルマーレ→名古屋グランパス→ベガルタ仙台→湘南ベルマーレ→福島ユナイテッドFC ※2009年 湘南ベルマーレ 二種登録
「少しずつ覚えながらチャレンジしていきたい」
――昨年12月30日に現役引退と湘南ベルマーレフロント入りが発表されました。新しい生活はいかがですか?
「新しい生活にはまだ慣れてないですね。サッカー選手のときは朝2時間練習して、昼ご飯を食べて帰宅していました。でも今は、朝出社して18時に終わる生活で、まだ仕事で戦力になれていないので、試行錯誤しながら頑張っています」
――昼すぎに帰っていた生活からガラッと変わったんですね。
「そうですね。でもベルマーレを契約満了になっていきなり今の生活になったのではなくて、去年は福島に単身で行って、自分のいない生活を家族も経験していたから、今しっかりやれていると思います」
――先ほど名刺をいただきましたが、運営部に配属されたんですね。
「はい。運営の副担当になりました。高校を卒業していきなりサッカー選手になったので、仕事を1から教わっているというか、名刺の渡し方に始まってパソコンの使い方とかいろんなことを教わっている最中です」
――留守電のメッセージを録音している動画がX(Twitter)で話題になりました。
「入社してすぐ『コバショウ、ちょっと来て』と呼ばれて、電話対応だったらどうしようと思っていたら、『台本があるからこれを読んで』と言われて。業務が終わった後の留守電のメッセージだったので何とかできました。普段電話に出るときもお客さまに失礼のないように気をつけないといけないですね」
――最初は緊張しますよね。
「めちゃくちゃ緊張します。電話が鳴ったら積極的に出ないといけないですし、どの部署に誰がいてどこにつなげたらいいか、少しずつ覚えながらチャレンジしていきたいと思います」
「選手は一度こういう仕事を見ておいたほうがいい」
――運営部ということは、試合の運営に関するさまざまな業務を担当するのでしょうか?
「そうですね。家族連れの方にも安心して来ていただけるスタジアムを目指しています。試合を運営するだけではなくて、消防や警察の方と連絡を取り合ったり、ボランティアの方と連係を取ったり、そういう業務も担当します。今は前任の方からいろいろ教わりながら引き継ぎをしていますが、試合が始まってみないと分からないことも多そうです」
――いざ始まったらいろんなことが起こりそうですね。
「そうですね。昨日はJリーグの運営者担当会議に出席しました。他クラブの方から『1年があっという間に終わる』『始まったらどんどん進んでいく』という話を聞きました。帰り際に元選手の運営担当の方からは『全く何も知らない状態から始めたけど、1年通して担当したらいろんなことが見えてくる』と教えていただきました」
――現役時代には想像がつかないようなことばかりなんですね。
「現役時代は運営担当の方がいるのは知っていましたが、具体的に何をしているのか分かっていませんでした。今こうやってフロントに入って、選手は一度こういう仕事を見ておいたほうがいいなと思いました」
――そうなんですね。フロントスタッフとして働き始めて、奥さんやお子さんの反応は?
「引退すると言ったときも『帰っておいで』みたいに言ってくれて、引退を快く受け入れてくれました。今はどうなんだろう。子どもたちはちょっと寂しそうですけど、自分が勝手にそう思っているだけかも(笑)。いつも夜ご飯を食べるのを待っていてくれるので、今日はいつ帰ってくるんだろうって思っているかもしれないですね」
「満足できた気持ちのほうが自分の中で大きかった」
――昨シーズンは福島でリーグ戦28試合に出場して2得点を挙げました。しかし、12月4日に契約満了が発表されました。
「2022シーズンをもってベルマーレを契約満了になっていろいろ考えていたとき、菊池大介もそうですけど、チームがない選手が自分の身近にいました。その中で僕は福島からお話をいただいて、家族とも話して1年行くことにしました。昨年は夏すぎから試合にあまり出られなくて、そのあたりから自分の年齢も考えると今年で終わりなんだろうなと。でも、もっとやりたいとか悔しいとかではなくて、満足できた気持ちのほうが自分の中で大きかったですね」
――すべてを出し切ったということですね。
「そうですね。ベテランで長く続ける選手もいるじゃないですか。そういう人たちはすごいなと思います。福島の宮崎智彦さんは僕の5歳上で、モチベーションを持ち続けられる理由を聞いたら、『サッカー、好きなんだよ』みたいに言っていて、すてきだなと思いました」
――現役引退の発表前にベルマーレの坂本紘司社長と話す機会はあったのでしょうか?
「12月9日に福島からこっちに帰ってきて、確か12月10日頃に紘司さんと面談しました。入社する前の面接のような場です。そこでベルマーレに対する気持ちやこれからやりたいことを話して、自分の中では引退を考えつつ、まだチームを探していることも紘司さんに伝えました。ちょうどフロントの編成が変わる時期で、運営担当が空くことを知りました。グラウンドに近くてベンチのスタッフやレフェリーとコミュニケーションを取る仕事なので、元選手にとっていいポジションなんじゃないかというお話をいただいて、気持ちを固めました」
――チャレンジしようと。
「はい。というのも、シマさん(島村毅)やガリさん(猪狩佑貴)がベルマーレの営業として活躍していて、日頃からご家族とも仲良くさせていただいています。食事に行ったときに仕事の話も聞いていたので、すべてを知っているわけではないですけど、何となく分かっていました。あの2人はすごいと思います。頼りがいのある先輩ですし、今こうやって一緒に働いているのは不思議ですね」
「大介の背中を見ながら僕も頑張っています」
――1月5日に出社した後は、新体制発表会や爆勝祈願in江の島が開催されました。
「学ぶことが多すぎて、時が過ぎるのが速すぎるので、一つずつクリアしていくような状態でした。新体制発表会の当日は、公園のグッズブースで販売のお手伝いもできましたし、新体制発表会ではインカムを付けて裏方として動きました。爆勝祈願はその翌日だったので、『コバショウ、爆勝祈願にもいるじゃん』ってサポーターに言われながら暖かく迎え入れてもらいました(笑)」
――そうやって声を掛けてもらえるとうれしいですね。
「今は『現役お疲れさまでした』と言ってくださる方が多いですけど、これからは仕事に対する厳しいご意見をいただくこともあると思います。運営担当としてサポーターの皆さんといいコミュニケーションを取っていきたいと思っています」
――ということは、試合終了後に選手と一緒に場内を一周するかもしれないということですね。
「そうですね。選手があいさつに行くとき、運営部の上司と僕が前と後ろにいるかもしれないですね。万が一、試合中や試合後にどこかで誰かがもみ合いになっていたら真っ先に止めに行くことも仕事の一つです。そうならないように安心・安全に試合を運営していきたいですね」
――1月20日に山口の大槻周平選手も現役引退を発表して、みんなで集まったときの写真をインスタグラムに載せていました。
「あれも最近ですね。みんな年齢が近くて仲がいいですし、『こうやって昔の選手たちが集まるのはなかなかないよね』とみんな楽しそうに話していました。昔の話をしたり、今のベルマーレの話をしたり、すごく盛り上がって面白かったです。たぶんエイジくん(武田英二郎)と周平くんが呼び掛けてあのメンバーが集まったんだと思います。僕はプロになってから下田北斗とは同じチームでプレーしていないですけど、同い年で平塚市トレセンで絡んでいたので面識はありました」
前列左から山田直輝、高山薫、大槻周平、大野和成、武田英二郎、山根視来。後列左から秋元陽太、古林将太、菊池大介、下田北斗
――“戦友で親友で一番のライバル”の菊池大介選手も写っていました。
「大介はFリーガーとして活動していて意識も高いですし、午前中は小田原で練習して、午後はベルマーレに出社して営業部で働いています。外に出て営業もしているので、すごくハードだと思います。部署は一緒ではないですけど、大介の背中を見ながら僕も頑張っています」
――今も刺激を受ける存在なんですね。
「そうですね。間違いなく。社内ではたわいない話もしますし、仕事の話もします。僕がしっかり運営の仕事ができるようになったら大介と一緒に営業に行きたいです。皆さんが自分の顔を知ってくれているうちに営業で力になれたらなと思っています。まずは運営の仕事をしっかりできるようになりたいですね」
「まさかあの舞台に立てるとは思っていなかった」
――それでは、ベルマーレ時代の忘れられないシーンを教えてください。
「いっぱいありすぎて絞るのが大変なんですけど、J1昇格を決めた2012年の最終節アウェイ町田戦(3-0)ですね。この年の選手とはけっこう仲が良くて、高山薫くんも『この年は濃かったよね』と話していました。2014年はトルコキャンプでとても調子が良くて、帰ってきてから練習で前十字靭帯をケガして、最後の2試合に出て史上最速でJ1昇格を決めました。あと2015年のアウェイFC東京戦(2ndステージ第14節 2-1)で残留が決まった試合は、僕と大介が点を入れて2人でしっかり結果を残して、年間順位8位で終えたので、すごく印象に残っています」
» 2012年11月11日(日)J2第42節 FC町田ゼルビア vs 湘南ベルマーレ | 湘南ベルマーレ公式サイト
» 2015年10月17日(土)J1 2ndステージ 第14節 FC東京 vs 湘南ベルマーレ | 湘南ベルマーレ公式サイト
――2011シーズンは草津、2016シーズンから名古屋、2017シーズン途中から仙台に在籍していました。
「草津時代は、若い自分を試合に多く使っていただいて多くのことを経験できました。本当にサッカー選手として戦えるという自信が生まれたシーズンでした。名古屋ではJ2に落としてしまったので何とも言えないですけど、永井謙佑くん、川又堅碁くん、安田理大くん、田口泰士くんがいて、試合にもけっこう出させてもらって自分の中では楽しい経験ができました。その後に移籍した仙台もとても楽しかったです。夏から入ってもみんなに受け入れてもらえたし、ウイングバックという自分の生きるポジションがあって、パスをもらって仕掛けてクロスを上げてアシストする、という自分のプレースタイルに合っていました。当時は石原直樹さんや(大岩)一貴くんもいたし、板倉滉、シュミット・ダニエル、奥埜博亮、三田啓貴もいて楽しかったです。その中でも2018年の天皇杯決勝浦和戦(0-1)は、まさかあの舞台に立てるとは思ってもいませんでした。勝てれば一番良かったですけど、今となってはあの悔しさもいい思い出です」
» 2018年12月9日(日) 天皇杯 JFA 第98回全日本サッカー選手権大会 決勝 浦和レッズ vs ベガルタ仙台
――その翌シーズン、ベルマーレに復帰しました。
「帰ってきてからは苦しい時期もありましたけど、コンスタントに試合に出ていたときもあり、楽しい時間のほうが長かったです。2023シーズンに福島の服部年宏監督に呼んでいただいて、サッカー選手としても人としてもたくさんのことを学びました。単身で行って家族がいない中で食事を作ったり体をケアしたり、自分自身とじっくり向き合うこともできました」
「今度は裏方としてチームに還元していきたい」
――今シーズンのベルマーレについて伺いたいと思います。右ウイングバックとして試合に出る可能性がある岡本拓也選手、鈴木雄斗選手、畑大雅選手の印象は?
「拓也はずっと一緒に切磋琢磨していたメンバーなので全く問題ないですし、期待しかないですね。(石原)広教が抜けましたけど、去年の終盤は拓也がずっと出ていたので今年も頑張ってほしいです。鈴木雄斗選手とはけっこう対戦することが多くて、点を取っているイメージもすごくあります。あれだけ背丈があって得点能力が高くて、なおかつサイドができる日本人選手はなかなかいないので、とても楽しみです。大雅はまだまだ伸びしろがある選手で、彼にしかないいいところがいっぱいあります。自分の流れが悪いときでも縦への仕掛けを続けられるようになって、最後の仕上げの部分をさらに磨ければ、もっといい選手になると思います」
――湘南ベルマーレU-18出身選手の印象はいかがですか?
「(石井)久継に対する皆さんの期待感はすごいですよね。過度なプレッシャーにならないように期待しつつ、それを押しのけるだけの才能を間違いなく持っていると思います。僕も以前、練習試合で一緒にプレーして、その中でも一番合うなと思ったし、頭の良さもすごく伝わってきました。試合にもっと絡んで、試合をどうデザインできるようになるのか、とても楽しみですね。(田中)聡は何も考えていなさそうで本当はいろいろ考えている選手です。物怖じしないタイプなので、彼はそのまま突き進んでほしいですね」
――今シーズン楽しみな試合は?
「開幕戦は“神奈川ダービー”でホーム川崎戦(2月24日)なので盛り上げていきたいです。当日は選手たちに頑張ってもらって、僕たちは裏方で支えていきたいと思っています。あとは広島戦、浦和戦、京都戦のような以前ベルマーレにいた人がいるチームとの試合ですね。大橋(祐紀)は自分の家によく遊びに来ていたので、移籍して寂しい面もありますけど、ベルマーレ戦以外では活躍してほしいなと思っています(笑)」
» 2024シーズン 試合日程 | 湘南ベルマーレ公式サイト
――1月12日に齊藤未月選手が完全移籍のコメントで「唯一無二のチーム」とベルマーレを表現していましたが、どのように感じましたか?
「僕は小学校3年生のときからベルマーレにいて、ここにいる時間が長かったですし、一緒に戦ってきた選手、スタッフ、サポーターは家族みたいな存在です。もちろんその中には厳しさもありますし、楽しさもあります。そのバランスがすごく良かったというか、アットホームでファミリーのようなところは唯一無二だと思います。もちろんそれだけではダメですけど、いろんなチームを見たり、いろんな話を聞いたりして、そういうのはすごく感じています」
――指導者になる道は考えましたか?
「考えていなかったわけではないですけど、高校を卒業してすぐにプロになったので、しっかり社会を知ってチームを裏方として支えたいという気持ちを紘司さんに伝えました」
――最後に皆さんにメッセージをお願いします。
「ベルマーレのユースからトップに上がって、草津、名古屋、仙台、福島でも応援していただいて、幸せな現役生活を送ることができました。14年のプロ生活を振り返ると、すべてが順風満帆だったわけではないですが、自分の中ではとても満足していますし、応援してくださった皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。今までは皆さんに支えていただく立場でしたが、今度はフロントスタッフとしてベルマーレを支えて、皆さんと一緒に歩んでいきたいです」■
出場記録
クラブ | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 | |
---|---|---|---|---|
2009 | 湘南ベルマーレユース 湘南ベルマーレ(J2)※二種登録 | 0試合0得点 | – | 1試合0得点 |
2010 | 湘南ベルマーレ(J1) | 7試合0得点 | 3試合0得点 | 0試合0得点 |
2011 | ザスパ草津(J2) | 35試合1得点 | – | 0試合0得点 |
2012 | 湘南ベルマーレ(J2) | 38試合3得点 | – | 1試合0得点 |
2013 | 湘南ベルマーレ(J1) | 30試合0得点 | 2試合1得点 | 1試合0得点 |
2014 | 湘南ベルマーレ(J2) | 2試合0得点 | – | 0試合0得点 |
2015 | 湘南ベルマーレ(J1) | 26試合3得点 | 5試合1得点 | 2試合0得点 |
2016 | 名古屋グランパス(J1) | 28試合1得点 | 5試合0得点 | 1試合0得点 |
2017 | 名古屋グランパス(J2) | 0試合0得点 | – | – |
2017.7 | ベガルタ仙台(J1) | 16試合0得点 | 3試合0得点 | – |
2018 | ベガルタ仙台(J1) | 10試合0得点 | 4試合0得点 | 4試合0得点 |
2019 | 湘南ベルマーレ(J1) | 23試合1得点 | 6試合0得点 | 1試合0得点 |
2020 | 湘南ベルマーレ(J1) | 24試合0得点 | 1試合0得点 | – |
2021 | 湘南ベルマーレ(J1) | 27試合1得点 | 6試合1得点 | 1試合0得点 |
2022 | 湘南ベルマーレ(J1) | 6試合0得点 | 5試合0得点 | 2試合0得点 |
2023 | 福島ユナイテッドFC(J3) | 28試合2得点 | - | 1試合0得点 |
J1通算 197試合6得点 | 通算 40試合3得点 | 通算 19試合0得点 | ||
J2通算 76試合4得点 | ||||
J3通算 28試合2得点 |
Words by Toru Onishi
Photography by Toru Onishi, Shonan Bellmare, Shin-ichiro Kaneko, Kenichi Arai